
1950年代を代表するインテリアデザイナー水之江忠臣先生。二葉家具とのつきあいは、京都は岡崎にある「京都会館」での仕事を通して始まった。
当時、水之江先生は「前川圀男建築設計事務所」におり、京都会館の内装を設計事務所が、家具を当社が引き受け関係を持つようになった。
水之江先生は「景色よし」、「味よし」、「人情よし」などとこよなく京都を愛されて京都に通い、また当社の姿勢も真剣であったことから信頼関係も厚くなっていき、「こんなものを二葉家具でやってみないか?」とご発言され、当然喜んでお受けしたのが「Mシリーズ」。
一人掛けが当初であり、これが完成するのに随分日数と根が要りました。
線一本描く作業でも、「定規などを使って描く線には気持ちが入らず、意味がない」と同じ線を納得いくまで何度も描かれ、試作においても”積んだり”、”くづしたり”の作業を延々と続けられました。
2年弱の根比べが続き、先生は東京〜京都を往復され、そして出来上がったのが「M−101(1人掛け)」、「M−102(2人掛け)」、「M−201(テーブル)」ですあり、この「Mシリーズ」が、水ノ江氏最後の作品となりました。

水之江忠臣(Tadaomi Mizunoe) 1921-1977
1921年、大分県生まれ。
1942年、前川国男建築設計事務所に入所。産業工芸試験所の意匠部長:剣持勇、同所機能研究室長、豊口克平の指導を受けながら機能的な家具を追求。
1964年、ハーマンミラー社相談役となる。